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フィリピノ語、六十の手習い

人生には、何事をするにも時機というものがある。
若いころ、一度タガログ語をやりかけたことがあるが、必要性もなく仕事が忙しくて挫折した。
子供を食わせる方が先だったものね。
途中で投げ出したことを無意識にずっと引きずっていたのかもしれない。
もう何の時間的制約もない。敵討ちをしてやろう。フィリピノ語に再挑戦してみようという気持ちになっていたようだ。
気まぐれ。時間つぶしと言われても仕方ない。あっし、結構負けず嫌いでしつこいんだ。

初級の英語ができれば、フィリピンでは、そんなに困ることはない。
じゃあ、何のためフィリピノ語をやるんだと言われると、はたと困ってしまう。
フィリピノ語を生かして、仕事とか学問をするわけではもちろんない。
そんなこと廃棄処分寸前のこのジジイにできるわけないだろう。
何か功利的な理由がなければ、語学を学んじゃいけないのかよう。
そう趣味さ。全くの趣味さ。純粋に趣味さ。いけないかい。
えっ、無意味な努力だって?
ハハ、人生それ自体が無意味の集積とも言えなくもないかい。
「人生で唯一意味があるものがあるとすれば、それは死である」なんて言ったニヒリスティックな作家もいたなあ。それも一つの哲学。
そろそろ、ジジイ、その無意味の終結も近づいている。

まさしく六十の手習い。
記憶力も理解力も数段低下している腐った頭で語学を習得することは相当にしんどい。
若いときの3倍から5倍、時間がかかる。
いや、逆だな。
脳に刺激を与えることで脳の血流を良くし、腐った頭のリハビリをしていると考えれば良いのだ。こういうのをプラス思考って言うのさ。

ということで、学習計画を以下のごとく、策定する。
ジジイ、何かするとき、大袈裟に形から入る傾向があるんだよ。
(第一段階)文法書を読破し、フィリピノ語の概略を身につける。
(第二段階)数冊の会話集、単語集よるよく使われる日常的表現、慣用的表現の習得と語彙力の増強。同時に文法書の重点的復習。
(第三段階)ジジイ、よたよたと街に出かけて、実践で会話力に磨きをかける。

現在、使用している書籍
 文法書:フィリピノ語文法入門(大上正直著、白水社)
 入門書:初めて学ぶフィリピノ語(吉村近男、語研)
     CDエクスプレス・フィリピノ語(津田守著、白水社)
 単語集:絵でわかる・フィリピノ語基本単語2000(佐川年秀著、明日香出版社)


とかなんとか言ってさ。少し話せるようになって可愛いネエちゃんと仲良くなりたいなんて魂胆があるなんじゃないかって。
ハハハ。滅相もない。そんなこと、否定するわけないじゃないか。
フロイト流に言うと、リピドー(性的衝動)って、生きる力じゃなかったっけ。

下心 隠して学ぶ フィリピノ語 リピドーなければ 無用の長物  佐太郎

ごめん、ちょっと下ネタ風味で。
やましいことなんか、何にもないさ。そんな風に思われると心外だ。もの悲しさが先に立つだけよ。クウッー
好好爺佐太郎は、真摯にフィリピン人の庶民とコミュニケーションを取りたいだけさ。
ジジイは、フィリピン人をフィリピン社会を俯瞰するのではなく、下から見上げたいんだよ。
そのためのフィリピノ語学習なんだよ。

まだまだ初歩の段階にあるが、現在の時点でのフィリピノ語学習の雑感を箇条書きにしてみた。
・英語とも日本語とも構造的に全く違う言語だな。
・語順もでたらめなようで、規則性があるんだよな。フッー。
・動詞はドウシようもなく面倒くさい。親父ギャグでも言いたくなるほど頭がグチャグチャになる。腹立たしい。何度放り出そうと思ったことか。
・動詞の相と焦点の理解がポイントかな。
・各焦点の動詞とANG形、NG形、SA形とのからみが今一つわからない。もう、習うより慣れろか。
・「相」は英語の時制に相通じるものがある。わりと理解し易いかな。動詞の語形変化も使っていくうちに、なんとかなりそうな気がする。
・「焦点」が最難関だな。そのセンテンスが何に焦点があたっているか、つまり、主題が何かということなんだろうが、使われる動詞、語順が違ってくるんだよな。なんていってるけど、まださっぱりわかっていないんだ。その代わりをするものって、日本語では助詞、英語では主語とか位置かな。ウーン。
・私の使った文法書は、英語文法との比較はなされているが、日本語文法はほとんど意識していない感じがした。

最後に一言。
フィリピン人はフィリピノ語という全く違う言語で思考している。思考回路が違うのさ。
フィリピン人を理解できないと言って嘆くのは、ある種の傲慢というものでなかろうか。
自分達の価値基準が絶対的であり、それにそぐわないものを批判し受け入れないアメリカ人を「醜いアメリカ人」と昔呼んだ。今も変わらないけどね。
私達も自分達の文化でしか物を見ることのできないアグリー・ジャパニーズという心の狭い人種にならないように気をつけねばね。

とにかく、言葉は文化だぜ。

昔から、言い慣わせられている。含蓄のある言葉だ。
  郷に入れば郷に従え。
Hiromi Goも言っている。含蓄のある言葉だ。
  僕達、男の子。ゴー、ゴー。

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(書評) 船戸 与一「虹の谷の五月」

 (出版社) 集英社 1995円 
 (お薦め度)***
文京区の水道端図書館から久し振りに一冊のフィクションを借りた。
舞台がフィリピン・セブ島の農村と聞いていたので、長い間読みたいと思っていた本である。
2000年の直木賞受賞作。
その頃、株のネット取引に入れ込んでいて、ほとんど本を読まなかった。そして、2002年春、脳卒中で倒れ、読書どころではなくなり、そのまま読まずじまいになっていた。

最近、活字が読むのが相当につらい。1時間も読み続けると、目がかすんでくる。それで、1週間くらいかけてじっくり読むつもりでいた。
それなのに、読み始めるとやめられなくなり、2日間で読み切ってしまった。

面白い。文句なく面白い。
船戸の作品は、以前、イランのクルド族独立運動を扱った「砂のクロニクル」を面白く読んでいた。ある程度は期待はしていた。が、予想以上だった。
私が薦める5冊の本というアンケートがあれば、是非入れたいものだ。

船戸は卓越したストーリーテーラーだ。
アクション、純愛、暴力、ギャンブル、セックス、背徳と倒錯・・・
殺人を楽しむ異常性格、男色、父子相姦。この辺になると、ちょっと、サービスし過ぎかもだね。
人間の持つ理性と狂気を次から次へと描きだしてくる。
なんという引き出しの多さ。
満腹するのにそんなに時間がかからない。が、次の場面では、涙ぐんでしまう。
なんという転換の速さ。
私のようにフィリピンに興味を持っていない者にとっても、最高のエンターテイメントだ。
ジジイになって涙腺が少し弱っているとはいえ、三度も泣いてしまった。

船戸の物語はハードボイルドな冒険小説というのが一般的認識だ。
が、私はこの本を極上のラブストーリーと位置づける。
4つのラブストーリーが交錯して複雑な構成になっている。
悲劇で終わる恋あり、瑞々しい青い恋あり、憎しみと愛は表裏一体と感じさせる恋あり、偲ぶ恋ありだ。
後半部分の謎解きは、想定外。あっそう来たかという感じであった。
ネタ晴らしはしないが、キーワードは血の繋がり。

船戸の文章は、こなれていて読みやすい。リズムとハーモニーが感じられる。職人芸だねえ。
セブの農村部の美しい自然描写、バランガイに生きている人々の人物描写、喧騒と昂揚の闘鶏場の臨場感に満ちた描写などなど・・・
ポルノ小説まがいのセックスシーンの描写にしても、抵抗なく入ってくる。嫌らしさを感じさせない。むしろ美しい。筆力があるからなんだろうな。圧巻はラストシーンかな。

ラブストーリーと冒険活劇をを楽しめるだけじゃない。
この本は、優れたフィリピン農村ガイドブックでもある。
フィリピンの行政単位、バランガイとはどういうものか、そしてそこに住む農民はどのような生活をしているか、知識としてではなく感覚として伝わってくる。
さらにその上、分かり易い闘鶏入門書なのである。
この本を読むだけで闘鶏、軍鶏についての基礎知識が身に付く。
残酷だし、ギャンブルに興味がないって。
まあ、そう言わず、読んでごらんよ。
競輪、競馬よりも、このギャンブル、高尚で、哲学的で、かつ、人間的だぜい。

船戸は、誇張はあるものの、フィリピン社会の負の部分を容赦なく明るみに出していく。
賄賂の横行する腐敗したバランガイ選挙、強い者への媚、へつらい。弱い者へのいじめ、村八分。
社会の底辺で生きる、貧しい人間達の愚劣さ、醜悪さ、卑屈さ、そのどうしようもない生き様を鋭い筆致でえぐり出す。
と同時に世俗的権威を痛快にこき下ろし否定する。
収賄と無法の警察組織、愛と弱者救済を忘れた教会組織・・・
だが、弱者に向けた作者の視線は、基本的には優しく暖かい。
短所の裏には長所があることを作者は重々承知している。

船戸の作品は、現実に打ちのめされ傷ついた人間に勇気と癒しを与えてくれる。
若い頃の情熱と理想、ずっと持ち続けることは難しい。
人はやがてそれを忘れ、裏切り、ボロボロになっていく。
人間が丸くなった、世間がわかってきたなんて言われてね。
ホセ・マンガハスは人里離れた「虹の谷」を根拠地に、孤高のNPAとして、たった一人で戦い続ける。
それできるのは、誇り(ダカン)と希望(アサム)を失っていないから。
虹の谷はもちろんフィクションの中の架空の場所である。
でも、作者は意図していないかもしれないが、私はこう考えてしまう。
「虹の谷」はその気になりさえすれば、誰もが心の中に保持することのできるの夢と理想の保管庫。
多忙と数々の欲望の誘惑に溺れそうなとき、逃げ込むシェルター。
多くの人は、人によって違うが、若い頃の夢、理想を捨てがたい。いつかは実現したいと願がっている。
「虹の谷」はその大切な何かをこわさずに守る心の核というか、思い出したときに出撃できる心の奥深くに存在する根拠地みたいなもの。

誰もが心の中に「虹の谷」を構築し、誇りと希望を失ってさえいなけれれば、戦い続けることができるのさ。
ホセ・マンガハスのように。

船戸ワールドは、無常観と滅びの美学に裏打ちされている。
若い頃は、ハッピーエンドでなければ、心が落ち着かなかった。
でも、幸福なんて実体のないもので、しっかり手元におこうとすればするほど、するりと逃げてしまう虚像に近いものなんだと知ってしまった今は、逆にハッピーなエンディングは、嘘っぽくしらけてしまう。なんだか忘れ物をしたような・・・

船戸の物語のエピローグは、巨悪に抵抗し勝てなくても屈服しない主人公の感動的な死を描いていることが多い。
悲劇的な報われぬ死で終わる。
山田風太郎によれば、
 人生は無意味である。
 その無意味な人生をなんとか生き続けていくのが、人間のプライドなのだ。
 人生でただ一つ、意味があるものあるとしたら、それは死である。
のだそうだ。
最近になって、この意味がわかり始めた。
死というものがあって始めて生というものが存在するんだ。
船戸は感動的な死でストーリーを閉じることによって、輝かしい生のあったことを際立たせているのかな。
キリスト教では、意味のない人生はないと教える。どんな人の人生も神の賜物。それぞれが比類ないマスターーピース。
だが、待てよ。
無意味ととらえるも、意味があるととらえるも、同じことを言っているんだ。
人の命の重さは皆同じである。冷酷な殺人者のそれも清貧の聖者のそれも変わりない。

「虹の谷の五月」は、船戸の作品としては珍しく、未来を感じさせる明るい終わり方をしている。
トシオとメグとジミーは、まだ生き残っている。新しい展開を期待させる。

不正に立ち向かうDNAを有するトシオ青年を待ち受けるものは?
クイーンの養女として横浜で生きるメグはどう生きるのか?
貧しき人のための裸足の医者を目指すジミーは願いを成就できるのか?

作者は続編を用意しているような気がする。
日比両国を舞台にした、さらなる活劇とラブストーリー。
願わくば、私が生きているうちに書いてくれよ。船戸さん。
楽しみにしているけん。

(死に関する随想 6)尊厳死

私の住んでいる飯田橋の駅前にギンレイ・ホールという映画館ある。
名画座系で、封切り落ちの洋画、韓国・中国の映画、話題の日本映画を上映している。
これはと思った映画を観るようにしている。
月1回くらいのペースかな。
最近、続けて「空を飛ぶ夢」と「ミリオンダラー・ベイビー」という尊厳死をテーマにした映画が上映された。

空を飛ぶ夢
スペイン映画。
海の事故で首から下の四肢が麻痺してしまい、26年間、ベッドの上で過ごしているラモン・サンペドロ。絶妙な会話をこなし、すばらしい詩も書く知的男であるが、自らの命を絶つ決断をする。
主人公は、空想で空を飛び回る。残された自由は空想の自由なのだ。
空想シーンの映像がすばらしい。
その中の犬が交尾するシーンが、何故か、印象に残っている。
街角に放し飼いの犬のいなくなっって、そういう光景を見ることもなくなった。見方によっては過激なのに、どこか懐かしく心温まる思いがした。幼少期の原風景の一つなんだな。ごく自然に性というものを目のあたりにしていた。優れた性教育だったよな。何だかどきどきし、恥ずかしくもあった。空想シーンはいろいろな映像で人間の営みを象徴的に表していたが、人間の秘め事を連想させたかっただろうか。
性なんて、ごく自然なことで隠すべきものではないのに、人間様だけはどうも歪んだ方向に進んできたようだ。

ラモン・サンペドロ、26年間、禁固刑に服しているようなもの。
それ以上だよな。さらに、身動きできないようにベッドに縛り付けられている状態か。目の前、30センチの距離が永遠の距離と言っていた。
周囲に迷惑をかけているという思いもあって、死を願う気持ちは一時の気の迷いではない。強い願望なのである。
私は、この12月、フィリピンで痛風にかかりまったく動けなくなった。マニラの病院に入院し、1週間、ベッドから移動できない体験をした。その短い期間でも精神的に耐えられず、死を考えてしまった。ましてや、ラモンの場合を思うと・・・

ミリオンダラー・ベイビー
クリント・イーストウッド監督・主演。
老トレーナーと不遇な生い立ちから30を過ぎてもボクシングに情熱を失わない女性ボクサーとの出会いと心の交流。連戦連勝でタイトルマッチに臨む。ここまでは、女性版ロッキーだ。が、その試合で相手の反則をくらい、全身麻痺になってしまう。

ボクシングを取ったら何も残らない女性ボクサーは、死を望む。
老トレーナーは生命維持装置を外し、致死量のアドレナリンを注射し、姿を消す。「空を飛ぶ夢」に比べて、尊厳死にいたる過程が、荒削りで乱暴だ。
イーストウッドは、この映画をラブ・ストーリーと言っている。
深く愛しているから殺す。そんな無茶な短絡的論法、与することはできないな。絶望の中での衝動的願望。現実的には、他にするべきことはいくらでもあったのに・・・
フィクションの世界だものなあ。ドラマのエンディングしてはこんなものかなあ。

死を望む人の手助けをする。
法律的には、殺人罪。

人間としてのプライドが保てない状態になったとき、人は殺してくれと願う。
私はキリスト者のはしくれ。
神からいただいたかけがえない命を自ら捨てるなどということは許されない。自殺は認めたくないし、自らも絶対に拒む。
映画の中では、頑迷で杓子定規なカソリック司教の態度を批判的に戯画的に描いていたが、わからないこともない。

ラモン・サンペドロのような人の自殺幇助に軽々しく殺人だなどと言えない自分がいる。他にしてやれることがあるんだろうか。苦しむ他人を見て見ぬふりするのも罪だよな。
女ボクサーの場合だって、心情的には共感する部分もある。
この辺はグレーゾーンだ。
人は、立場によって、考え方も感じ方も違ってくる。
同じ人間だって、時間と共に変わってくる。
その時、その場で、深く考えて、正しいと信じたように行動するのさ。

安楽死と尊厳死、どう違うんだ。
病気で肉体的苦痛に極度に苦しむ状態にあったとき、本人は早く楽にしてくれと死を願う。家族も見ていられず、死を願う。
こういう肉体の苦痛の除去を目的とした死の手助け。これは許せる部分があるな。
一方、尊厳死は心の問題だ。これはできることなら認めたくない。
すべての方策が尽きた時の尊厳死、ウーン・・・・

(死に関する随想 5)善人は早死にす

あっけなく人は亡くなるんだ。

伊豆の海は青く温かかった。
ライトブルーの美しい南の海をたくさん経験した今なら、何の感慨もなく、どうってこともない海と思うであろう。が、当時は衝撃だった。
北海道の荒々しい暗い様相の海しか知らなかった。
小学校低学年のとき、近所のガキ共でよく行った釧路の太平洋。旭川から、年に1度くらい海水浴に行った増毛の日本海。姉の家に遊びに行ったとき見た網走のオホーツク海。
皆、夏の海と言えども、冷たく暗かった。どこか人を寄せつけない、厳しさを漂わせていた。

大学に入った年の夏、大学のクラスの仲間と伊豆の戸田の海に海水浴に行くことになった。
サークルは山歩きの会に属していたが、その合宿の後だった。
確か、2泊3日だったと思う。
まだ受験が終わったばかりのようなもので、海の遊び方がわからず、浜辺でゴロゴロして漫然と太陽を浴びたり、岩場を散策したりしただけで、何もしなかったような気がする。
しかし、そこは若者。短い時間ですっかり打ち解け、仲良くなっていた。
これが海とのつきあいの始まりだった。
篠田と野呂。
社交的でリーダーシップのある野呂。その誘いかけに、物静かな篠田と田舎者で関東の地理のよくわからない私が乗った形となった。
私以外の二人は都立高校の出身だった。

3人で撮った写真が一枚残っている。
まだほっそりとした体型でにこやかに笑ってはいるが、足には普通のスリッパをつっかっけ、首にタオルをかけたり、頭にまいたりして、野暮ったいこと限りなし。湘南ボーイとは雲泥の差。私は田舎者だから仕方がないが、東京の二人もそうなのである。
なんとも海水浴とかレジャーとかいう言葉などとは縁遠い雰囲気。穏やかな海とは似合わず場違いな感じがする。女の子をナンパするなどという意識もなかった。たとえあったとしても、そっぽを向かれたろうが。

旭川へ帰って家で楽しい夏を過ごした。

夏休みも終わり、2学期の最初の授業だった。野呂がただならぬ興奮した表情で近づいてきた。
「篠田が死んだ。俺、葬式に出てきた」
「えっ」絶句した。
心臓の疾患であっという間に急逝したそうだ。
そんなことがあっていいのか。戸田で未来を語り合ったじゃないか。短いながらも楽しい時間を共有したではないか。
嘘だろう。人間ってなんてあっけないんだ。
心が真っ白になった。
珍しくその日一日は熱心に授業に集中した。心の空白を埋めたかったし、そうしないとなんだか篠田に悪いような気もしたのだ。
前から病気をかかえていたのかどうか、野呂もわからないとのこと。
とにかく、亡くなったのだ。認めたくない事実だった。
当然ながら、その後、篠田の姿を見ることはなかった。
功利的な学生達は薄情だ。篠田のことが話題になったのは、2,3日だけ。いつのまにか、皆、彼がいたという事実をすっかり忘れていた。私ももちろん同じだった。

篠田はナイスガイだった。
死んでしまったからそう思ったのかもしれないが、自己主張の強い、抜け目のない学友が多い中で、いつも控えめにニコニコ笑っていた。一緒にいると癒される気がした。試験前、私のサボった授業のノートを嫌な顔一つ見せず貸してくれた。ちょっとかげの薄い存在だった。篠田は自分の運命を感じとっていたのかなあ。
生きていたら、私よりもはるかに世の中の役に立つことをしただろう。
神様も気まぐれだ。
人生、これからだというとき、前途有望な若者の命を奪ってしまう。
いい加減な俺なんかを残して・・・とその時、少し思った。
この歳になると、素直に神様に感謝する。身体が不自由になったが、篠田に比べると文句なんか言えない。喜びも悲しみも良いことも悪いことも数知れず経験することができたものなあ。


「善人は早死にする」とか「天才は夭折する」とか言う。
逆じゃないのかな。早死にしたから、善い人に見えるんじゃないかな。夭折したから、天才に思っちゃうんじゃないかな。そういう言葉には、生き残った者の傲慢さと優越感が内在しているような気がするのは私だけか。
長生きした者が勝ちなのか。
理性的に考えれば、人生は長さではなく、いかに生きたか、密度だ。
でも、篠田の短い人生を思うと、そんなの屁理屈に過ぎない。

宇宙悠久の時間からみれば、人の一生なんて、一瞬も一瞬さ。
どんなに立派に生きたからといっても、篠田を忘れたようにやがては皆
忘れ去られてしまう。
我思う、故に我あり。デカルトの言葉だったっけ。
認識している己が死んでしまったら、すべてが無に帰するのか。それなら、冷酷な殺人者の人生も、生涯、人のために尽くしたヒューマニストの人生も、死ねば、まったく差はないということか。何か寂しい。というより、暗澹たる思いにとらわれて生きるって何なんだと考えてしまうよな。

人間らしく生きるには、神の存在が必要みたいだ。
「困った時の神頼み」という言葉。
普通は、人間、進退きわまったとき神様にすがりついて急場をしのぐというような、打算的なニュアンスでは使われる。
でも、私は、違った意味で理解している。
人間、歳を取ったり、絶望したりして、生きる意味を見失うときがある。そういったとき生きる意味を与えてくれ、方向を指し示してくださるのが神じゃないのかな。神頼みって、魂の救済というか、生きる意味の再構築とか、もっと高い意味で考えたい。

もう、少々死期が早まってもいい。
私は善人で死ぬことを切望する。

「惜しい人を亡くした」と、皆、言ってくれるかな。
上っ面だけの言葉でもいいさ。ハハハ。

(死に関する随想 4)ピリカメノコと洞爺丸

ピリカメノコって知ってる?
アイヌ語で、美しい女性という意味だ。

洞爺丸って聞いたことある?
道産子で私の年代以上なら、洞爺丸のことをほとんど知っているだろう。でも、若い人や内地の人はどうかな?私の親達は、本州・四国・九州のことを内地と呼んでいた。今はどうだろう。死語なっているのかな。
中学生の頃、北海道は朝鮮、満州などと同様に外地だったのかと不思議に、そしてちょっと不満に思っていた。

洞爺丸事故の大惨事について、ちょっとレクチャーしておこう。
1954年(昭和29年)、青函連絡船洞爺丸(3800トン)は台風によって転覆した。その事故は、岸からわずか700メートルの地点で起こったにも関わらず、日本最大の、そして、あの有名なタイタニック号に次ぐ世界第2位の海難事故になったのである。
死亡及び行方不明 1155名、生存者 わずか159名

大学は北海道から東京に出た。夏休み、冬休み、春休みと、年2、3回、旭川の実家に帰っていた。1年で4~6回、青函連絡船に乗るわけである。長い汽車(蒸気だぞ)の旅のちょうど真ん中あたりで乗るわけで、いい気分転換になり、甲板に出て潮風を受け海の眺めを堪能しているときなど、まさに旅をしている気分だった。船に乗ると不思議と旅情がかきたてられるものな。帰郷の長旅の間に途中下車して、友人と会ったり、観光旅行したりしていた。慣れてくると、値段がほとんど同じなので、北海道周遊券を買って北海道中を旅行したりしていろいろな経験をした。でも、青函連絡船は別格の存在だった。
見方によっては、青函トンネルを抜けるよりも、飛行機でいっきに飛んでしまうよりも、ずっと贅沢をしていたような気もする。

そんなわけで、青函連絡船には特別の思い入れがあり、限りなくノスタルジーを感じてしまう。
5,6年前、お台場を家族で散歩してしていたとき、船の科学館というところに洞爺丸と同型船の羊蹄丸がつながれているのを偶然見つけた。跳び上がりたい気持ちになった。長い勤めを終えて展示場となっていた。昔、何度も何度も乗った船だ。入ってみると、船内に見覚えがある。懐かしくて思わず涙が出そうになった。遠い青い頃の過去にタイム・トリップして、家族がいることも忘れてしまっていた。

小学4年の時だった。
同じクラスに高桑さんという女の子がいた。眼がパッチリして、すらっと背が高く、ツバ広の白い帽子がよく似合う可愛い子だった。
はっきり自覚はしていなかったが、憧れを抱いていたようだ。
ある日、高桑さんがおしゃまな口で皆に饒舌に語ってくれた。

高桑さんのお姉さんと当時私達のの小学校で教育実習をしていた若いハンサムな学生が恋仲であった。学生が実家のある青森に帰るというので、札幌でデートをした。お姉さんは別れ切れず、函館に、そして、青森までついて行こうとしたらしい。そして、洞爺丸の悲劇に遭い、二人共帰らぬ人となった。
というような話だったが、私はというと、高桑さんの顔を盗み見ながら、うっとりして聞いていたに違いない。
高桑さんのお姉さんだ、きっと綺麗な人だろう。ピリカメノコだ。私達の小学校は旭川のアイヌ部落の近くにあり、アイヌの民話や伝説をよく学んでいた。
高桑さんの話はピリカメノコの悲恋伝説でも聞いているような気がしていた。
ピリカメノコと若者の恋の道行き。その恋が最高に盛り上がったところで突然の悲劇。ちょっと肉付けすれば、たちまちドラマになってしまう。

死は、時折甘美な様相を呈して人々を魅了する。
「死をかけて~する」とき、人々は心打たれる。
死をかけて国や組織や家族を守ったり、死をかけて信念や思想を実行したりする行為、死をかけて情交する情死すらも、人々の心をひきつけてやまない。
ピリカメノコと若者の恋が燃え上がり、死と言う形でピリオドが打たれたのだ。
まだ恋心ということすら知らなかった10歳の私も、高桑さんの話に夢見るように引きつけられたしても不思議はない。いや、引きつけられたのは高桑さんにだったかもしれない。そうすると、これは初恋の話じゃないか。

高桑さんは眼に一杯涙をためていたような気もする。
ここまでくると、過去を、自分の初恋を、相当美化してしまっているなあ。

小学校卒業後、高桑さんとは一度も会う機会がなかった。
どんなピリカメノコに成長したか、残念ながら知らない。

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佐太郎のプロフィール

 還暦をむかえたジジイだ。 孫娘との写真。 東京ドームシティにて。

佐太郎

Author:佐太郎

 片麻痺という脳梗塞の後遺症による不自由な身体でよれよれに生きている。 だども、強い気持ちで、限りある命を楽しむよ。

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